じげもんが、じげネタを、じげもんに感情表現する (地元の者が、地元のことを、地元の者へ感情表現する)
まちを語る人がいなければ、デモクラシーの価値は半減すると考えます。 まちを語る人を増やしたいと思いながら、自分自身がまちを語っていなかったことに気づき、その無言の状態を打破したいと考えました。 当事者意識は、当事者自身が感情を込めて語ることで伝播するのではないかと考え、まず自分自身が語り続けています。
どんな課題にアプローチしましたか?
まちを語る人がいなければ、デモクラシーの価値は半減すると考えています。まちを語る人を増やしたいと考える中で、自分自身が生まれ育ったまちについて語っていないことに気がつきました。 この無言状態こそを、いのいちばんに解決したい課題だと捉えました。子どもや若者に伴走する仕事をする中で、子どもや若者に対し、まちについて語ろうと言う前に、いのいちばんに大人自身がまちを語る必要性を感じ、意外に大人は語っていない現実があると考えます。 結局は、大人の鏡が、子どもや若者です。大人が自分のまちに無関心であれば、子どもも自分のまちに無関心になり、大人が自分のまちについて何も語らないのであれば、子どもだって語れないと考えます。自分の無言状態を打破し、「当事者として、自分のまちについて、地元の方々に感情表現する」ことにアプローチしました。
どのような新たな価値を創造しましたか?
「当事者が、自分のまちについて、地元の方々に感情表現する」ことの価値を提起したいと思っています。意外に、この価値は光を浴びていないと考えています。この価値にスポットライトがあたれば、まちを語る人が増えると考えます。 私自身の無言状態を変えるため、誰しも文章での表現ができるインターネット上のnoteを活用しました。2026年2月より書き始め、およそ半年かけ、一つのシリーズを完結させました。note上に、連載「辺境が変えた日本の話」として、公開しています。内容は、私が生まれ育ったまちで起きた「島原天草一揆」を取り上げています。 確かに、地元ガイドは存在し、自分のまちについて語っています。しかし、私が語りたい相手は、旅行者ではなく、じげもん(その土地に住む人)です。私は歴史学者ではありません。歴史学者が語ることも大切ですが、私が大切に思っているのは、「当事者が、自分のまちについて、じげもんに感情表現する」ことです。 当事者の感情表現は、読み手に伝播しやすく、読み手の中に「これは自分たちの物語だ」という感覚を呼び起こしやすいのではないかという仮説を持っています。この当事者意識醸成の仮説検証は難易度が高いですが、行動を起こすこと(実際に表現すること)を大切にしたいと思っています。理由は、実際に書けば読者から反響があるからです。書けば、まちの話題が、私の身の回りで、目に見えて増えます。 note上で私が書いた文章は、不定期で地元ローカル紙である島原新聞が取り上げてくださり、島原半島(長崎県)の方々から反響をいただきました。これも読者からの実際の声をいただき、ローカルなできごとを、ローカルなメディアで、ローカルな読者に向けて語ることが、当事者意識醸成の一助となると体感しています。 当事者意識醸成が、まちを語る人を増やすことにつながると考えています。
どんな工夫をしましたか?
・史実を淡々と紹介するのではなく、史実に基づきながら感情を表現することを強く意識しました。中国の三國志が、三國志正史より三國志演義の方に人々の関心が集まり読み継がれている傾向を一つのヒントに、人間の感情を大切にして文章を書き上げました。 ・今後も書き続け、一つのゴールとして、NICEキャンパス長崎の『長崎学』という科目名の下に授業(2026年12月頃予定)を実施します。NICEキャンパス長崎とは、長崎県内すべての大学、短期大学、高等専門学校が参加している単位互換制度です。